3/27
12:00 イダ浜にて亡き仲間のことを想う
12:20 入山
13:00 西山林道東口
13:30 西山林道西口
14:00 ケイユウオジイとシロの浜
3/28
6:35 出発(ケイユウオジイとシロの浜)
7:25 ウダラ川分岐
7:35-7:45 ウダラ川アヤンンダ川分水嶺(レスト)
7:55 アヤンダ川本流
8:30 アヤンダ川のウボ川につながる支流
9:05-9:15 レスト
9:35-9:45 アヤンダ川ウボ川分水嶺(レスト)
10:20 ウボ川河口
10:35-10:45 崎山集落跡(レスト)
11:20 ヌバン(野浜)
3/29-3/30
ヌバン(野浜)で沈
3/29の12:30 ヌバンにて亡き仲間のことを想う
3/31
6:15 出発(ヌバン)
7:15 ウボ川河口
7:55-8:05 ウボ川アヤンダ川分水嶺(レスト)
8:35-8:45 レスト
9:10 ゴルジュ入口(ウダラ川ルート分岐付近)
9:50-10:00 アヤンダ川河口
1045-10:55 西山林道西口
11:25 西山林道東口
12:00 下山(イダ浜)
3/26
Yが3/26昼頃まで個人的にレンタカーを借りていたため、前日にはもう石垣島にいた私とYで空港までM戸さんとO路を迎えにいった。空港から市街地まで行く途中、この先一週間ほど天気予報が悪く皆テンションが下がっていたが、Yがふと携帯で天気予報を確認したところ3/28からずっと晴れ予報に変わっていることが分かりテンションがあがった。このときメンバーと話し合い、本来の予定では3/26にイダ浜に着いて3/27の早朝に入山する予定だったが、3/27の午前中の天気が悪いという予報が出ていたので、3/26の10時前の船で石垣島を出発して大原に行き、そこから白浜までバスに乗って13時20分の白浜発の船に乗ることにした。そのため3/26は石垣島のいつもの宿に泊まった。宿のチェックインできる時間の3時間前に着いてしまい、さらに皆もう観光する気など起きない程度に石垣島を観光してしまっているので、受付の前でだらだらしていたら受付の方に迷惑だと怒られてしまった。すみませんでした。空港からの車内では、4年前のように宿で麻雀をしようという話をしていたが、これ以上関係が悪化すると困るのでやめることにした。この日は外で定食を食べ、その後宿に戻り前もって買っておいた刺身をつまみながらオリオンビールや泡盛を飲んだ。このときに京都府立大学の方々が西表の地形図を広げていたので、酔いに任せて話しかけたところ、舟浮から船をチャーターし網取まで行き、そこから南風見田まで歩いたと話していた。船は1万円でチャーターできるらしい。
3/27
この日は予定より少し早く石垣島離島ターミナルに着いた。そこで予定通りに大原行の定期船のチケットを買ったが、買った後にYが上原港から白浜まで無料送迎バスが出ていることを発見。この無料送迎バスを使うと時間が短縮できて交通費も500円安くなるため、上原港経由で行くことにした。前日の夜に今回かかる交通費を計算したら予想より高く、西表島が終わったら皆困窮しそうだと話していたため、このルートを見つけたYを全員で褒め称えた。無料送迎バスのおかげで白浜発の定期船は予定より一本早いのに乗ることができた。11時ごろに舟浮に着き何回も通った道を抜けてイダ浜に着いた。過去2回はほとんど人に会わなかったが、今回は観光客が何人かいた。イダ浜に着き軽く荷物の整理をした。その後皆で亡き仲間のことを想った。その後雨が強くなってきたため、急いで支度をして出発した。出発時間は満潮の時間に近く不安であったが、波がほぼ無く潮位もそれほどではなかったため難なく進むことができた。13時に西山林道東口、30分で西口に着いた。O路は昨年の山行で西口の目印が見つからなかったため西山林道の目印は無くなったのではと主張していたが、明らかに残っている目印を見つめて「あるやん…」と悔しそうにつぶやいていた。そして14時にケイユウオジイとシロの浜。水場近くにはブルーシートが張ってあり、その中にはテントがあった。その付近には色々な道具があり、不在の場合はご自由に使ってくださいという紙があった。まただれか生活しているのであろうか。水場の近くの浜をテン場に決めテントを張っていると、スコールのような雨が降り出した。そこで、M戸さんの主張でテントの中で麻雀をすることとなった。狭苦しい2人用テントの中でびしょ濡れの体を縮め、銀マットに水が溜まっている状態でした麻雀は人生で一番不快な麻雀として今後も思い出に残るだろう。一半荘終えると雨は止み、不快ではあったが一番雨のひどい時間を麻雀によって潰せたのは良かった。その後雨は完全に止んだので、外に出てポトフとご飯を食べた。料理で手伝うことがなかった私は、湿った木に火をつけることができてこその沢メンだという先輩の言葉を思い出し、濡れた木を集めてメタ(固形燃料)を駆使し、何とか小さな火をおこすことができた。たき火は小規模であったが、あるのとないのでは大きな違いがある。たき火を囲み、泡盛を飲んで就寝した。
3/28
快晴と予想していたが、生憎の曇天。しかしあと数時間後にはヌバンに着くと考えるとやる気が出てきた。6時半に出発、ウダラ川を遡行し、道が川を横切るところから道に合流。この合流地点は踏みあと程度だったが、少し進むとしっかりとした道が右岸側にずっと続いていた。7時半にウダラ川からアヤンダ川へと行く道に入る。ここから分水嶺までは沢沿いにテープがついていてほとんど沢の中を進んだ。10分ほどでウダラ川アヤンダ川分水嶺、分水嶺には林野庁のピンクテープがついていた。ここからアヤンダ川支流までは林野庁のピンクテープを中心に様々な色のテープがある。道自体は不明瞭で何度も見失ったが、テープのおかげで何とかたどることができた。ウダラ川アヤンダ川分水嶺からアヤンダ川支流の左岸側を10分ほど歩きアヤンダ川本流に一回出て、また稜線を越え40分ほど歩くと、ウボ川につながるアヤンダ川の支流に出る。そこからはテープを見失ったので、アヤンダ川をほとんど遡行する形となった。過去の山行の時と同様に、深そうな淵には巻き道があった。全体的にヤブヤブしていたので、OBでしばらく藪に行っていない私にはかなりしんどく感じた。M戸さんは4年前もこのルートを通ったはずだが、これほどきつかった印象はないと言っていたので、体力の衰えかまたはルート取りが悪かったのか。そして9時半にアヤンダ川ウボ川分水嶺。一昨年の山行ではウボ川で道は見つけることができなかったが、今回分水嶺から辿ることで、しっかりとテープのついた道があることが分かった。ウボ川にはトゲ付きの植物が多く生えていて、さまざまなところで皆痛いと叫んでいた。10時半にウボ川河口、崎山集落跡まで行き休憩した。一昨年の山行で会ったツカザキさんはもういなくなっているようで、彼が使用していた畑は荒れ、生活道具もだいぶ減っていた。そして11時20分にヌバン。このころには天気も良くなっていて、これからヌバンで過ごす時間が楽しくなることを確信させてくれた。この日は疲れていたので、泳ぐこともなくテントを張って、砂で台を作り麻雀をした。この日は柳が絶好調ですべてトップをとっていた。その後夕食としてレトルトカレーを食べ、たき火を囲んで酒を飲み、寝た。
3/29
この日は自由起床だったが、全員8時には起きていた。この日は快晴で、前日強かった風も止んでいた。朝ごはんとしてラーメンを食べ海に泳ぎに行った。リーフの端までいったが、波が高くて怖かった。サンゴや熱帯魚がきれいでいくら潜っても飽きなかった。磯付近にはおいしそうな青魚が泳いでいて寿司ネタが泳いでいると皆テンションがあがったが、モリを持ち、いざ突こうと近づくとさっと散って行きモリで突くことの難しさを痛感した。その後海からあがり、4年前もテントを張り、麻雀をし、たき火を囲み、酒を飲んだであろう水場近くの浜で皆亡き仲間を想った。昼頃に次の日はどうするか話し合った。これまではO路が4/1に予約した飛行機に乗り遅れないために、3/30下山を主張していたが、3/31下山でもほぼ帰れることがわかり、また快晴のヌバンでテンションが上がったので折れてくれたようで、3/31下山となった。夕飯はちらし寿司、山行でちらし寿司を食べたことはなかったので新鮮だった。その後、またたき火を囲み、酒を飲み、寝た。
3/30
この日も起きて朝ごはんを食べてすぐ泳いだ。前日はヌバンの中では端の方の海だけで泳いだのだが、この日は中央部に泳ぎに行った。ヌバン全体を見渡すと、浜の端の磯近くは波が高く、中央部は波が全く無い状態だったが、波が無いところには離岸流があるという情報を何かで見た覚えがあり、真ん中にはもしかしたら離岸流が流れているのではないかと思い前日は近づかなかった。ただ、海からあがり中央部をよく見てみるとリーフが短くすぐ切れているため波が無いのではないかという話になり、また離岸流について携帯で調べた結果どうも離岸流ではなさそうだという結論になったためこの日は中央部に泳ぎに行った。これが正解であった。中央部のサンゴは端のサンゴと比べ色鮮やかで、泳いでいる魚の種類、数がともに多く、これぞ想像していた沖縄の海という景色であった。もう一度ヌバンに来て良かったと心から思った。その後海からあがり、麻雀をした。麻雀の途中で後輩たちのパーティがヌバンに着いた。後輩たちはとても疲れたと口々に言っていたが、ヌバンに着くなり海に潜り楽しんでいた。これがワンゲル部員のあるべき姿かと、麻雀をしている自分たちと見比べて感心した。この日の夕食は秘密兵器鍋であったが、とんこつスープとアーサーとスパムが入ったとんこつアーサー汁ができた。これが見た目に反してわりとおいしかった。夜は全9人でたき火を囲み、酒を飲んだ。後輩たちがオリオンビールを持ってきていて振る舞ってくれた。前日に皆で下山したらビールを飲みたいと言っていた私たちには最高のプレゼントであった。お礼としてビールの缶は持ち帰ると言ったらM里がもう1缶出してきたのでありがたく飲んだ。もう酒に酔ってしまって、「お前たちはビールが無くなって軽くなり、さらに缶も持って帰らなくていい、そして俺たちは酒が飲める、これはwin-winだ!」と訳の分からないことを言っていた先輩たちを許してほしい。私たちの持って行った酒が無くなりかけていたので、後輩たちの酒を割と飲んでしまったことと、おつまみがイカ類のものしか残っていなかったので後輩たちの種類豊富なおつまみを割と食べてしまったことは反省すべきだと思う。とても楽しい夜を過ごし就寝した。
3/31
この日中に石垣島に戻るために、6時15分に出発した。朝早いながらM崎とM里が見送ってくれた。7時15分にウボ川河口、8時にウボ川アヤンダ川分水嶺。ウボ川河口から入る場合、水量が減り沢っぽくなってすぐ出てくる大きなルンゼとの分岐の真ん中を探すとすぐテープが見つかる。9時50分にアヤンダ川河口。過去の経験からアヤンダ川の下降が容易でウダラ川に下りるよりも1時間ほど短縮できることが分かっていたので、アヤンダ川ルートを使った。アヤンダ川本流合流部付近のいくつかの滝とゴーロ帯は一見突破が不可能に見えるが、ルートを探せば難なく進む事ができる。10時45分に西山林道西口、11時25分に東口、そして12時にイダ浜で下山。M戸さんは終始きつそうにしていたが、下山後肩を日焼けしてザックの肩ひもが痛かったと教えてくれた。そういえば一昨年、Kも日焼けしたいといって上半身裸になり後悔していた。そして無事にこの日中に石垣島にたどり着き、三線を引きながら生演奏をしてくれる居酒屋で打ち上げをし、酒を飲み、音楽に合わせて踊った。今回初めて観光客っぽいことをした。次の日の飛行機に乗り、桜が満開の京都に戻った。
最後に麻雀の成績を残しておく。
M戸 +43 +05 -24 +04 +46 -14 +44 +39 /+38 計+143
Y -14 +44 +30 +30 -02 -02 +05 -01 / 計+90
ハッピー-03 -41 -09 -24 -16 +45 -22 -13 / 計-83
O路 -26 -08 +03 -10 -28 -29 -27 -25 /+02 計-150
T橋 /-15 計-15
M里 /-25 計-25